1998年6月1日月曜日

日本は身の丈に応じた国際貢献を

「共産主義」という名の妖怪が欧州を彷徨したのは19世紀のことだが、20世紀も終わりを迎えた現在、「市場主義」という名の荒ぶる神が、アジアを暴れまわっている。この巨大な力は、たとえ何十年続いた政権ですら簡単に押し潰してしまう。発展途上にあるアジア各国の経済などは、まるで木の葉のように翻弄されている。はたしてアジアは現在の苦境を克服することが出来るのか。そのためにわが国は何を為すべきか。

日本の役割といえば、常識的ではあるが、内需を増大させ、アジアの輸出の吸収者の役割を引き受けることだといわれる。どうやって内需を増大させ、それを輸入の増大に結びつけるか、様々の理由から、これは言うべくしてなかなか難しい。アジア輸出の市場としての日本の役割も、相当制限されることにならざるを得ないように思う。

最近東京で開かれた国際シンポジウムで、香港からの参加者がいみじくもこの点を指摘した。日本は「アジアへの貢献、貢献と、出来もしないことをいうより、自分自身がアジア経済の足を引っ張ることのないようにしたらどうか」と喝破したのだ。

あまりにも消極的な国際貢献だが理屈に合っている。ネガティブな行動をとらないことこそが国際貢献となる例は多い。中国の人民元は、購買力平価の5分の1程度の水準で中国の輸出ドライブの原動力だ。本来なら各国から人民元の「切り上げ」要求が出てしかるべきだが、現実には単に「人民元を切り下げない」だけのことで、立派に中国は世界に貢献していると評価されているのである。

日本も先進国サミットなどで「日本経済は大丈夫だ、内需拡大は可能だ」と空元気を見せるのではなく、現在日本が直面している窮状を素直に説明し、経済を深刻なデフレ・スパイラルに陥らせないことこそ日本が出来る国際貢献だと実情を知らせるべきではないか。

日本は現在、過剰設備の調整という大きな問題を抱えている。この問題(資本係数の上昇)は、前川レポートで内需拡大が叫ばれた1986年あたりから急に顕著になってきたものだ。この前川レポートを楯に大幅な内需拡大を求める外圧に応え、際限なく金融を緩和させたことが、過大な設備投資につながり、設備バブルを産み出したとも言える。この解消は短期間ではなかなか難しい。

でも、ものは考えようだ。ハーマン・カーンが「21世紀には日本が米国を抜く」と書いたのは1960年代の終わりだった。当時、当社のさる役員は若い社員を前にこう言ったものだ。「来世紀には日本人はアメリカ人より豊かになるとのことだが、私は年寄りであり最早そんな世界を生きて経験することは出来ない。若い君たちは21世紀まで生きることが出来る。実にうらやましい」と。ところが現実には円高が進み、1987年には早くも日本は1人当たりGDPでアメリカを抜くことになった。ちょっと早すぎたのだ。

もちろんこれは名目金額での話であり、購買力で考えれば日本の1人当たりの購買力は米国の7割程度に過ぎなかった。しかし徐々に改善が進んでおり、今や8割程度までに追いついている。低成長が続いても日本経済のキャッチアップは着実に進行しているのだ。

(橋本)